• 歩き納め

    今日は朝から快晴、う~ん、ジッとしているのはもったいないと言うことで、歩き納めに出掛けました。
    駅からハイキングは年内予定は終了と言うことで、良い景色が眺められるとこは・・どこだ!!
    近くて高いところ、そうだ船堀タワーだと思い付き、都営新宿線船堀駅まで出掛けました。

    北口出口から展望室へと向かいました。
    タワーホール船堀と言う公共施設です。
    開いていたので、中に入りました。

    おかしい?、エスカレーターの保守点検をやっている・・
    守衛さんに訊きました、答えは「今日から年末休みです。おたくで4人目です」
    開いていたのは医療施設があるからだったそうです。
    では、歩きましょう。

    東京メトロ東西線浦安駅まで歩きましょう。

    青色が歩いたコースです。

    二宮尊徳さんに年末年始は無い様です。

    一之江境川親水公園を歩きます。冬なので誰も歩いていません。

    親水公園から新川に向かいます。ここもお休みでした。

    新川からスカイツリーです。展望台はまだ未踏です。

    新川橋から続く古川親水公園を歩き、環七を横切り、再び古川親水公園を旧江戸川まで進みます。ここは二度目の訪問でした。


    旧江戸川沿いに浦安駅を目指します。眩しいので振り返ります。

    妙見島です。まだ運ちゃんだった頃、ちょくちょく「月島食品」には来ていました。

    浦安橋に上がりました。

    富士山も頭が見えました。

    東京都から千葉県へ

    2時間10分の散歩でした。
    浦安駅とうちゃこ!

    さて、駅ハイはどうでしょう。


  • 陸軍鉄道連隊

    母校の高校がかつてこの地にあった事もあり、この鉄道連隊に興味があり、色々と調べてみました。
    陸軍鉄道連隊とは明治から敗戦まで存在した陸軍の隊です。
    任務は国内や占領地での鉄道の敷設だったそうです。
    この津田沼に第二連隊、千葉の地に第一連隊があり、演習線で結ばれていたそうです。
    第二連隊の演習線は松戸-津田沼間にあり、戦後に京成電鉄に払い下げられ、新京成電鉄として路線を引き継ぎました。
    こちらの遺構は新京成電鉄二和向台駅近くにあります。

    列車等の資材は西武鉄道に払い下げられました。
    松戸-津田沼(昭和5年の地図なので、まだ松戸まで開通していません)
    新旧比較の地図は「今昔マップ on the Web」を利用しました。

    この連隊の跡地には私立千葉工大と県立千葉工高が建設と言うか、隊舎をそのまま引継ぎ開校しました。
    千葉工高は千葉市の検見川の地にあったのですが、工業系と言うことで米軍の空襲で焼け、移転したのです。
    その後、千葉工高は千葉市へ移転し、跡地は点々と変わりましたが、現在はイオンモールになりました。

    千葉工大に遺構が残っています。校舎も隊舎などを利用していたのですが、現在は立派な建物になっています。
    門のみ遺構として残っています。

    守衛さんの許可をもらい、中から撮影しました。

    連隊が使用していた列車が津田沼ヨーカ堂前の公園に保存されています。

    では、千葉側はどうでしょう、線路は全て道路となりました。
    京成大久保駅付近に一部が遊歩道して残っています。
    赤ラインが演習線、青ラインは現在の道路です。

    花見川団地から穴川付近までは綺麗に道路と変わったのが分かります。

    穴川からはモノレールの通る国道126号のやや西側を抜け、千葉駅まで繋がっていたようです。

    現在の千葉駅北口から千葉公園付近までが演習線の跡と思われます。
    轟町から千葉公園辺りに第一連隊がありました。千葉公園内に遺構が残っています。演習用のトンネルなどもあるようです。

    昭和の終わり頃までは千葉競輪場付近に線路がまだ残っていた記憶があります。現在は住宅街の中に廃線跡らしきところがあります。
    また、轟町にある千葉経済大学北側に連隊技術廠の建物が残っています。

    モノレール天台駅近くの公園には陸軍歩兵学校跡の記念碑があります。

    陸軍の遺構と言うと佐倉城址公園の姥が池近くにあり、隣には無料の菖蒲園もあります。
    佐倉城は明治になり、陸軍が進駐し、城は徹底的に破壊され、土塁と空堀しか残っていません。

    上ってみました。かなり怖いです。

    こんなことをするために作ったそうです。
     


  • 年賀状

    今年も郵便局員がアチラコチラで年賀状を売り歩いていますが、ノルマ達成は厳しいでしょう。
    ポストでの受付も始まり、こちらは早々にプリンターで作成し投函しました。
    で、これから喪中の連絡があっても「ごめん」です。

    さて、この年賀状ですが、昨年、一昨年、数年前と毎年捨てずに保存をしています。
    結婚以来ですので、40年分があるはずです。
    この古い年賀状、どうしたものか?
    シュレッダーでカットして断捨離しますか?


  • 富士山

    昨日、大磯城山公園の展望台から雲ひとつ無い富士山が拝めることが出来ました。
    距離は約50kmあります。

    スマホのズーム画像はやはり駄目ですね。
    ビデオカメラで撮影した画像です。
    こんなに晴れ渡って、風も無い中での富士山は人生初めてです。

    山頂は強風が吹いている様です。


  • HDR-CX670

    現在、メインで使用してるビデオカメラはSONY HDR-CX670です。
    このカメラ、以前に使用していたHDR-CX550Vより安価なのですが、空間光学手ぶれ機能でブレが少ないのと軽いのでメインで使っているのですが、フォーカスに問題があります。
    三陸の旅では主にマニュアルフォーカスの無限大で撮影をしました。
    車窓が多いので、オートフォーカスだと窓などの汚れや水滴に焦点が合ってしまいます。
    CX670以前から多用していて問題はありませんでした。
    しかし、どうも撮影した動画が気になります。
    無限大にするとソフトフォーカス処理をしたような映像が撮れてしまいます。
    ビデオの液晶モニターでは分からないほどなのですが、PCディスプレイでフル画面にするとはっきり分かります。

    録画ボタンのON/OFF時にガリガリとノイズも入ります。編集時にON/OFF部は必ずカットしています。
    自分のミスでUSB端子カバーを壊してしまいました。取付位置が悪いですね。
    手を抜くとき勝手に開いてしまうのです。引っかかって取れた様です。

    そんなことで、メーカー修理に出しました。
    フォーカスとノイズは「異常なし」と返されました。
    カバー修理はアッセンブリー交換になる様で、2万数千円と見積もりされました。
    もちろん、断りました。
    テープで塞いでしまいました。

    CX-670はオートフォーカス以外での使用が出来ないのが確信出来ました。
    今年春の長崎の旅でも、同じ事をやらかしているんですね。
    青森までの往路で雨だったのが災いをしました。
    編集時に全ての撮影動画をシャープネス処理をしています。
    今後、車窓はCX-550Vで撮影しよう。
    そろそろ4Kビデオかな?


  • 三陸の旅無事終了

    24日から4日間、三陸方面を巡って参りました。
    初日の青森は路面は雪でしたが、滑り止めを付け「駅ハイ」に参加しました。
    駅ハイ参加後、八戸に移動、八戸駅から市役所などがある本八戸駅へ移動し、ミニ散策をし八戸泊
    現・八戸駅は東北本線開通時には「尻内」、1971年に「八戸」となり、当時八戸線にあった「八戸」が「本八戸」となりました。
    東北本線を通すときに八戸の市街地の方を通す予定だったそうですが、反対運動で避けてしまったのです。
    八戸を訪れたら本八戸が市街地ですので、勘違いをしないでね。
    25日は八戸からJR八戸線で種差海岸駅で下車し海岸を散歩、再び八戸線で陸中夏井駅まで進み「駅ハイ」参加。
    久慈駅まで歩き、久慈から三陸鉄道で宮古駅、宮古からは山田線が不通なので、路線バス二つを「道の駅やまだ」で乗継ぎ釜石泊。
    26日は釜石駅からJR釜石線で遠野駅、「駅ハイ」に参加し、釜石までUターン、三陸鉄道で盛駅、盛駅からはBRTを利用して気仙沼泊
    BRTとはbus rapid transitの略称です。
    JRが震災で破壊された鉄路の復活を断念し、線路を取外しバス専用線に切り替えた路線です。
    全線が切り替わってはいません、多くは一般道を利用しています。
    27日は気仙沼からBRTを利用して石巻線前谷地駅まで進み、今度は鉄路で女川を訪れました。
    途中、南三陸町を通りましたが、復興は限りなく遠いかなと感じました。
    5年も過ぎたと言うのに盛り土工事が続いていました、元住民は帰還するのでしょうか?
    復興のための工事?、土建屋さんのための工事?
    海岸線には至るところで万里の長城の様な防潮堤が続きます。
    何か違う様な気がするのは私だけでしょうか?
    女川町、大震災の1年前に乗りつぶしで訪れ、津波で街全体が流された町です。
    駅舎も立派に復活し、当時食べた食堂が新しくなって営業をしていました。
    駅前から海まで以前は古い家の街並でしたが、駅前から海が見え、真ん中には広い敷石の通りが出来、両側には観光施設が建ち並んで、そこそこの観光客が訪れていました。
    そんなことで、食堂も行列が出来ていたので、断念しました。
    女川から仙台に出て、新幹線で東京へ戻りました。
    旅行中、傘をさすことも無く、地震もなく、平穏に旅をすることが出来ました。
    撮影したビデオは何時間になるかは不明です。150G以上は撮影したと思います。
    編集は年内には終わらないかと・・・