三陸の旅無事終了

24日から4日間、三陸方面を巡って参りました。
初日の青森は路面は雪でしたが、滑り止めを付け「駅ハイ」に参加しました。
駅ハイ参加後、八戸に移動、八戸駅から市役所などがある本八戸駅へ移動し、ミニ散策をし八戸泊
現・八戸駅は東北本線開通時には「尻内」、1971年に「八戸」となり、当時八戸線にあった「八戸」が「本八戸」となりました。
東北本線を通すときに八戸の市街地の方を通す予定だったそうですが、反対運動で避けてしまったのです。
八戸を訪れたら本八戸が市街地ですので、勘違いをしないでね。
25日は八戸からJR八戸線で種差海岸駅で下車し海岸を散歩、再び八戸線で陸中夏井駅まで進み「駅ハイ」参加。
久慈駅まで歩き、久慈から三陸鉄道で宮古駅、宮古からは山田線が不通なので、路線バス二つを「道の駅やまだ」で乗継ぎ釜石泊。
26日は釜石駅からJR釜石線で遠野駅、「駅ハイ」に参加し、釜石までUターン、三陸鉄道で盛駅、盛駅からはBRTを利用して気仙沼泊
BRTとはbus rapid transitの略称です。
JRが震災で破壊された鉄路の復活を断念し、線路を取外しバス専用線に切り替えた路線です。
全線が切り替わってはいません、多くは一般道を利用しています。
27日は気仙沼からBRTを利用して石巻線前谷地駅まで進み、今度は鉄路で女川を訪れました。
途中、南三陸町を通りましたが、復興は限りなく遠いかなと感じました。
5年も過ぎたと言うのに盛り土工事が続いていました、元住民は帰還するのでしょうか?
復興のための工事?、土建屋さんのための工事?
海岸線には至るところで万里の長城の様な防潮堤が続きます。
何か違う様な気がするのは私だけでしょうか?
女川町、大震災の1年前に乗りつぶしで訪れ、津波で街全体が流された町です。
駅舎も立派に復活し、当時食べた食堂が新しくなって営業をしていました。
駅前から海まで以前は古い家の街並でしたが、駅前から海が見え、真ん中には広い敷石の通りが出来、両側には観光施設が建ち並んで、そこそこの観光客が訪れていました。
そんなことで、食堂も行列が出来ていたので、断念しました。
女川から仙台に出て、新幹線で東京へ戻りました。
旅行中、傘をさすことも無く、地震もなく、平穏に旅をすることが出来ました。
撮影したビデオは何時間になるかは不明です。150G以上は撮影したと思います。
編集は年内には終わらないかと・・・


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