母校の高校がかつてこの地にあった事もあり、この鉄道連隊に興味があり、色々と調べてみました。
陸軍鉄道連隊とは明治から敗戦まで存在した陸軍の隊です。
任務は国内や占領地での鉄道の敷設だったそうです。
この津田沼に第二連隊、千葉の地に第一連隊があり、演習線で結ばれていたそうです。
第二連隊の演習線は松戸-津田沼間にあり、戦後に京成電鉄に払い下げられ、新京成電鉄として路線を引き継ぎました。
こちらの遺構は新京成電鉄二和向台駅近くにあります。
列車等の資材は西武鉄道に払い下げられました。
松戸-津田沼(昭和5年の地図なので、まだ松戸まで開通していません)
新旧比較の地図は「今昔マップ on the Web」を利用しました。
この連隊の跡地には私立千葉工大と県立千葉工高が建設と言うか、隊舎をそのまま引継ぎ開校しました。
千葉工高は千葉市の検見川の地にあったのですが、工業系と言うことで米軍の空襲で焼け、移転したのです。
その後、千葉工高は千葉市へ移転し、跡地は点々と変わりましたが、現在はイオンモールになりました。
千葉工大に遺構が残っています。校舎も隊舎などを利用していたのですが、現在は立派な建物になっています。
門のみ遺構として残っています。
守衛さんの許可をもらい、中から撮影しました。
連隊が使用していた列車が津田沼ヨーカ堂前の公園に保存されています。
では、千葉側はどうでしょう、線路は全て道路となりました。
京成大久保駅付近に一部が遊歩道して残っています。
赤ラインが演習線、青ラインは現在の道路です。
花見川団地から穴川付近までは綺麗に道路と変わったのが分かります。
穴川からはモノレールの通る国道126号のやや西側を抜け、千葉駅まで繋がっていたようです。
現在の千葉駅北口から千葉公園付近までが演習線の跡と思われます。
轟町から千葉公園辺りに第一連隊がありました。千葉公園内に遺構が残っています。演習用のトンネルなどもあるようです。
昭和の終わり頃までは千葉競輪場付近に線路がまだ残っていた記憶があります。現在は住宅街の中に廃線跡らしきところがあります。
また、轟町にある千葉経済大学北側に連隊技術廠の建物が残っています。
モノレール天台駅近くの公園には陸軍歩兵学校跡の記念碑があります。
陸軍の遺構と言うと佐倉城址公園の姥が池近くにあり、隣には無料の菖蒲園もあります。
佐倉城は明治になり、陸軍が進駐し、城は徹底的に破壊され、土塁と空堀しか残っていません。
上ってみました。かなり怖いです。