• 0円

    終活の一環として、ブックオフに初めて古本を持って訪れました。
    家内が会員になっているので、面倒な登録はしません。
    昭和の少し茶色になった文庫本100冊ほど持ち込みました。
    売れたのは10冊ほどで10~30円、家内の持ち込んだ比較的新しいのは1冊250円とかで、合計2,000円也。
    と言うことで昭和の本は売れませんでした(嘲笑)
    処分してくれると言うのでお願いして帰りました。
    この地に移転して以来、押し入れに仕舞って再び読むことはないだろうと思う段ボール箱に仕舞ってあった昭和本は紙ゴミで出すことにしました。
    青春時代に読んだドストエフスキーなんて、爺さんになり読む訳がない。
    次回は平成本を持ち込んでみましょう。


  • KB4501835

    元号が変わり、Windowsの自動更新で更新されたと言う情報を発見しました。
    こちらは、なかなか自動更新がされません。
    ではと、KB4501835を探し出してインストールしました。
    Windows10最新版Ver1809用です。
    KB4501835
    Windows10x64用
    ダウンロードしたファイル
    windows10.0-kb4501835-x64_a8a91185c1cf9b9fefa6e9e07fc3d74c45fb2fee.msu

    で、こんなになりました。
    エクセルの表です。新元号も表示されています。
    Aセルが西暦表示設定、Bセルが元号表示設定です。

    自己責任でどうぞ!


  • sylpheedのメニューバー等のフォントを変更

    メール送受信にメールソフトの「sylpheed」を利用しています。
    本文のフォントは設定から変更出来ますが、他の部分は変更出来ません。
    歳を取ると標準のメニューバーのフォントサイズではやや見づらいです。
    そこで、何か変更する方法は無いものかと検索したところ、ありました。
     (user)は各自の名前です。
    「C:/Users\(user)/AppData/Roaming/Sylpheed」のホルダーにメモ帳などで下記のファイルを作成し、保存します。
    「C:/Users/(user)/AppData/Roaming/Sylpheed/gtkrc」
    テキストファイル名前は「gtkrc」で拡張子はなしです。

    style “font” {
    font_name = “meiryo 10”
    }

    class “*” style “font”

    「font_name = “meiryo 10″」でフォント名とサイズを指定しています。
    好きなフォントが設定出来ます。
    上記ではメイリオを選択しました。
    コントロールパネルの「フォント」から選んで下さい。
    フォントを開き、使いたいフォントのプロパティを表示します。
    赤の部分のフォント名だけを記入します。

    インストールしたままの標準窓

    フォント変更後


  • 平成を振り返ってPC編2

    本日より令和になりました。
    しかし、Windows10Ver1809はまだ平成です。
    更新はいつになるのでしょう?

    1995年、Windows95が公開され、一気にパソコンブームとなりました。
    MS-DOSのソフトは使えません、DOSで遊んでいたものとしては嬉しいやら悲しいやらでした。
    しかし、まだまだブルー画面が発生します。
    1998年、Windows98が公開、まだまだリソースオーバーとかで固まります。
    2000年、Windows2000が公開され、やっとどうにか固まることが少なくなりました。
    この時点まではWindowsもコピペで何台でも使い放題でした。
    OS入りメーカーパソコンは何かと使わないソフトが山の様に入っています。
    OSさえあれば、他のソフトはフリーソフトで間に合うのでパソコンを自作することにしました。
    最初は自作キットを購入しました。組み立ててOSが無事に立ち上がったときは感動でした。
    Windowsは2000を基本に2001年、WindowsXPが発売され、やっと固まることも滅多になく、快適なOSとなりました。
    しかし、プロダクトキー登録と言うことでコピペで使い回し出来なくなりました。
    XPは長かったですね、その後、2007年、ビデオ編集をするので、新PCでWindowsVistaを導入しましたが、これは重かったです。
    評判が悪く、短命でした。2011年、かなり高スペックな新PCを導入、OSも64ビット版Windows7x64になり、XPよりもかなり快適でした。
    Windows7からのWindows10へ1年間無償バージョンアップには驚きました。
    7対応のビデオ編集ソフトが正常に動作するかどうか心配で、すぐにはバージョンアップはしませんでした。
    2016年、無償期限が迫ったのでやむなくバージョンアップした次第です。
    ビデオ編集ソフトは7ほど快適ではありません、時に固まったりしますが、まあ使える範囲内なので現在に至っています。
    現在、使っているパソコンは、もう8年になります。そろそろ買い換えとは思いますが、ビデオ編集するにはそれなりのスペックが必要なので高額になります。
    ビデオカメラもかなり草臥れていて、年金生活者としてはなかなか厳しい今日この頃です。


  • 平成を振り返ってPC編1

    平成の時代はパーソナルコンピュータ(パソコン)が一気に普及した時代ではないでしょうか?
    管理人は初めて、そのパソコンの写真を見たのは漫画雑誌の宣伝だった様に記憶しています。
    当時、マイコンと呼ばれていました。
    TK-80
    何となく欲しいなぁと言う気持ちがありましたが、高価で手が出ません。
    その後、カシオからポケコンなるものが発売され、手が出る価格でしたので買いました。
    PB-100
    特にどうのこうのと言う訳で無く簡単なBASICを入れ、ローン計算などで遊んでいました。
    昭和63年(1988)、電器屋の親父が1万円でどう?と持って来たのがゲーム様MSXと言うコンピューターでした。
    特に用も無いのに必死にBASICを勉強し、雑誌に書いてあるプラグラムを入力しました。
    もちろん記憶装置はなく、電源オフで何時間も掛けて入力したものはパー
    カセットテープに記録出来ると言うので、ジーガーと言うアナログ音声をカセットで録音し保存したものです。
    平成に入り、東芝からワープロルポが数万円で発売され、仕事でも使えそうと購入、ここでキーボードを一から練習し覚えました。
    当時は「かな入力」を推奨してしたので、かなで覚えました。
    ワープロでは飽き足らず、平成4年(1992)、中古のパソコンNECPC-9801を20万くらいで買いました。プリンターもドット式で10万くらいしましたね。
    パソコンは新品だと40~50万くらいしていた時代です。
    それからはパソコンと格闘が続きました。当時はMS-DOS3.3、ワープロとして使うにはワープロソフトが必要で、これも数万円しましたが、買いました。
    一太郎がメジャーでしたが、マイナーな管理工学社の「松」、表計算は「ロータス1-2-3」と言うのがありましたが、10万くらいするので手が出ません、アシストカルクと言う1万円くらいのソフトで我慢しました。
    追加メモリーやあれやこれやと、後付け部品はなんでも数万円する時代で、少しでも快適にしたいと追加で購入しましたね。
    Windows3.2が公開され、確かフロッピー38枚だったと思います。
    MS-DOS機にインストールしてみようとCPUを換装したりして、やってみました。一日掛かりでインストールをしましたが、やはり正常に動作しません。
    アンイントールし、部品をあれこれ入れ替えたりしましたが、古い機種ではダメ、結局MS-DOS機として自宅で現存しています。
    そのうちWindows95フィーバーです。一気にWindowsへと流れて行きました。
    仕方がないので、機種交換です。平成8年(1996)NECPC9821V16を購入、NECもこの辺りで勢いが年々無くなります。
    Windows95になり、日本語対応のDOS/V機と言われる数万円の安い海外機(確かコンパックかな?)が進出し、高額なNEC-Windowsは終焉を迎えていきます。
    ワープロ機やNEC機仕様フロッピーディスクはDOS/V機とは互換がなく、今ではゴミとして机の引き出しで眠っています。


  • 千葉市歴史散歩No.01

    世間は10連休だ9連休だとゴールデンウィークと賑わっています。
    ご本人様は現在は365日連休ですので、感心もありませんが・・
    と言うことで、特にブログに書く題材もないので、正月から始めた「千葉市歴史散歩」ビデオをNo.1から紹介して行きます。
    千葉市在住60年、大きく変化しました。
    当時の中心部の賑わいは無くなり、賑わいは埋立地の海浜幕張方面へと去って行きました。
    明治以降軍都千葉、米軍の大規模な空襲で市中心部の大半が被災し、歴史的遺産は少ないです。
    戦後、川崎製鉄の工場が出来、川鉄城下町として発展して来ました。
    政令都市になるほど人口は増えましたが、大半が東京のベッドタウンとしての団地住民です。
    それでも、ウロウロしてみると何かの発見もあるものです。