平成の時代はパーソナルコンピュータ(パソコン)が一気に普及した時代ではないでしょうか?
管理人は初めて、そのパソコンの写真を見たのは漫画雑誌の宣伝だった様に記憶しています。
当時、マイコンと呼ばれていました。
TK-80
何となく欲しいなぁと言う気持ちがありましたが、高価で手が出ません。
その後、カシオからポケコンなるものが発売され、手が出る価格でしたので買いました。
PB-100
特にどうのこうのと言う訳で無く簡単なBASICを入れ、ローン計算などで遊んでいました。
昭和63年(1988)、電器屋の親父が1万円でどう?と持って来たのがゲーム様MSXと言うコンピューターでした。
特に用も無いのに必死にBASICを勉強し、雑誌に書いてあるプラグラムを入力しました。
もちろん記憶装置はなく、電源オフで何時間も掛けて入力したものはパー
カセットテープに記録出来ると言うので、ジーガーと言うアナログ音声をカセットで録音し保存したものです。
平成に入り、東芝からワープロルポが数万円で発売され、仕事でも使えそうと購入、ここでキーボードを一から練習し覚えました。
当時は「かな入力」を推奨してしたので、かなで覚えました。
ワープロでは飽き足らず、平成4年(1992)、中古のパソコンNECPC-9801を20万くらいで買いました。プリンターもドット式で10万くらいしましたね。
パソコンは新品だと40~50万くらいしていた時代です。
それからはパソコンと格闘が続きました。当時はMS-DOS3.3、ワープロとして使うにはワープロソフトが必要で、これも数万円しましたが、買いました。
一太郎がメジャーでしたが、マイナーな管理工学社の「松」、表計算は「ロータス1-2-3」と言うのがありましたが、10万くらいするので手が出ません、アシストカルクと言う1万円くらいのソフトで我慢しました。
追加メモリーやあれやこれやと、後付け部品はなんでも数万円する時代で、少しでも快適にしたいと追加で購入しましたね。
Windows3.2が公開され、確かフロッピー38枚だったと思います。
MS-DOS機にインストールしてみようとCPUを換装したりして、やってみました。一日掛かりでインストールをしましたが、やはり正常に動作しません。
アンイントールし、部品をあれこれ入れ替えたりしましたが、古い機種ではダメ、結局MS-DOS機として自宅で現存しています。
そのうちWindows95フィーバーです。一気にWindowsへと流れて行きました。
仕方がないので、機種交換です。平成8年(1996)NECPC9821V16を購入、NECもこの辺りで勢いが年々無くなります。
Windows95になり、日本語対応のDOS/V機と言われる数万円の安い海外機(確かコンパックかな?)が進出し、高額なNEC-Windowsは終焉を迎えていきます。
ワープロ機やNEC機仕様フロッピーディスクはDOS/V機とは互換がなく、今ではゴミとして机の引き出しで眠っています。