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  • 日本遺産の佐倉を歩く

    1月28日(木)に日本遺産とかになった佐倉市を歩いて来ました。
    佐倉のこのコースを歩くのは4回目くらいになります。
    日本遺産、初耳でしたが、お祝いで歩いてみました。
    では、日本遺産とは?
    http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/

    JR佐倉駅からの「駅からハイキング」が開催中です。
    https://www.jreast.co.jp/ekihai/evdetail.aspx?EvCd=0716015

    佐倉と言うと京成佐倉の方が利便は良いですが、ここはJR佐倉駅からです。

    駅からハイキングの受付は駅下の観光情報センターです。

    駅近くの高崎川沿いの公園にC58が静態保存されています。

    佐倉と言えば歴博と佐倉城址と武家屋敷ですが、お城と武家屋敷との御武家様の通勤路「ひよどり坂」です。

    お城の勤めを終え、下城し屋敷に帰宅し、一献傾けたのでしょうか?

    そのお城です。明治になり、陸軍が駐屯し、幕府憎しと佐倉城は徹底的に破壊され、城の遺構は土塁と空堀のみです。

    悲しい逸話のある姥が池近くの梅林です。日当たりの良いところは咲いていました。
    家老の幼き娘を乳母が池に落としてしまい娘は亡くなり、乳母が責任を感じ、後を追い飛び込んだと言う池です。
    当時、夜な夜な乳母の泣き声が聞こえたそうです。

    菖蒲園もあり、季節には見事な花を咲かせます。(無料ですし、歴博駐車場からも近いので必見です)

    佐倉藩鎮守の麻賀多神社です。

    佐倉城下町商店会通りには「日本遺産」の旗のはためいています。

    通りにあります佐倉市美術館は工事で休館中です。

    この通りを進むと佐倉順天堂記念館があります。以前に入館しているので今回はパスしました。

    最後の立寄りポイントは幕府老中の旧堀田邸です。屋敷は有料ですが、庭は無料です。屋敷内は以前に入っているのでパス。

    堀田さんちからの眺めはこんな風でした。

    帰りは堀田さんちから国道296号線に下り、駅に向かいます。
    佐倉駅前通りは彫刻通りと言い、たくさんの彫刻が立ち並んでいます。

    このハイキングは3月26日まで開催しています。
    フラッと佐倉を訪れてみては如何でしょう?
    コース距離は9km、10時前後にスタート、佐倉城下町商店会通りに食事処もたくさんあります。
    駅からハイキングに参加したことがなくてもOK、まずは観光情報センターにお立ち寄り下さい。
    秋10月には山車が繰り出す「佐倉の秋祭り」も開催されます。
    この山車、都心で使われていて、都電開通で使うことが出来なくなり、佐倉に流れて来たそうですよ。


  • 松戸七福神巡り

    2日間掛けて、徒歩で松戸市の七福神巡りをしました。

    初日は赤、2日目は青です。

    コースは新京成電鉄沿線健康ハイキングのコースです。

    八柱駅から松戸駅までです。
    徳蔵院の寿老人

    圓能寺の福禄寿

    善照寺の布袋尊

    宝蔵院の大黒天

    二日目は常盤平駅スタート、JR馬橋駅まで

    七福神巡りだけならJR北小金井駅からでもよかったのですが、まあコース制覇が優先。
    広徳寺の弁財天/七福神ではありません。

    華厳寺の弁財天

    医王寺の毘沙門天

    金蔵院の恵比須神

    二日間のコース距離は29km、万歩計距離は44kmとなりました。
    今年一年、福がありますように!!


  • 新春初歩き

    平成29年も始まり、酒ばっかり飲んでいるわけにはいかず、初歩きに出掛けました。

    近い(自宅から1時間くらい)、交通費(往復千円以下)が掛からない、往復の電車が混まないの3点が揃った新京成沿線ハイキングです。
    一年の福を呼ぶらしいので、これしかないですね。
    関東地方は良いお天気が続いています。
    10時にもなると、通勤通学も終わり、ホームもガランとしています。

    八幡様です。日の丸も揚がり、目出度いです。

    大宮神社、大宮ではありません。習志野にある大宮神社です。

    東葉門とか言う大きな長屋門。東葉高校の門です。

    ゆるぎ地蔵さんです。

    途中、畑の中から富士山が新年の挨拶をしてくれました。

    高根神明神社。特に松の内と言う雰囲気はありませんでした。

    観行院と言うお寺さんにも寄りました。

    駅名にもなっている御滝不動尊。昨年10月にも訪れました。

    昼過ぎから冷たい風も吹き付けましたが、無事に新春初歩きを終えることが出来ました。


  • 歩き納め

    今日は朝から快晴、う~ん、ジッとしているのはもったいないと言うことで、歩き納めに出掛けました。
    駅からハイキングは年内予定は終了と言うことで、良い景色が眺められるとこは・・どこだ!!
    近くて高いところ、そうだ船堀タワーだと思い付き、都営新宿線船堀駅まで出掛けました。

    北口出口から展望室へと向かいました。
    タワーホール船堀と言う公共施設です。
    開いていたので、中に入りました。

    おかしい?、エスカレーターの保守点検をやっている・・
    守衛さんに訊きました、答えは「今日から年末休みです。おたくで4人目です」
    開いていたのは医療施設があるからだったそうです。
    では、歩きましょう。

    東京メトロ東西線浦安駅まで歩きましょう。

    青色が歩いたコースです。

    二宮尊徳さんに年末年始は無い様です。

    一之江境川親水公園を歩きます。冬なので誰も歩いていません。

    親水公園から新川に向かいます。ここもお休みでした。

    新川からスカイツリーです。展望台はまだ未踏です。

    新川橋から続く古川親水公園を歩き、環七を横切り、再び古川親水公園を旧江戸川まで進みます。ここは二度目の訪問でした。


    旧江戸川沿いに浦安駅を目指します。眩しいので振り返ります。

    妙見島です。まだ運ちゃんだった頃、ちょくちょく「月島食品」には来ていました。

    浦安橋に上がりました。

    富士山も頭が見えました。

    東京都から千葉県へ

    2時間10分の散歩でした。
    浦安駅とうちゃこ!

    さて、駅ハイはどうでしょう。


  • 陸軍鉄道連隊

    母校の高校がかつてこの地にあった事もあり、この鉄道連隊に興味があり、色々と調べてみました。
    陸軍鉄道連隊とは明治から敗戦まで存在した陸軍の隊です。
    任務は国内や占領地での鉄道の敷設だったそうです。
    この津田沼に第二連隊、千葉の地に第一連隊があり、演習線で結ばれていたそうです。
    第二連隊の演習線は松戸-津田沼間にあり、戦後に京成電鉄に払い下げられ、新京成電鉄として路線を引き継ぎました。
    こちらの遺構は新京成電鉄二和向台駅近くにあります。

    列車等の資材は西武鉄道に払い下げられました。
    松戸-津田沼(昭和5年の地図なので、まだ松戸まで開通していません)
    新旧比較の地図は「今昔マップ on the Web」を利用しました。

    この連隊の跡地には私立千葉工大と県立千葉工高が建設と言うか、隊舎をそのまま引継ぎ開校しました。
    千葉工高は千葉市の検見川の地にあったのですが、工業系と言うことで米軍の空襲で焼け、移転したのです。
    その後、千葉工高は千葉市へ移転し、跡地は点々と変わりましたが、現在はイオンモールになりました。

    千葉工大に遺構が残っています。校舎も隊舎などを利用していたのですが、現在は立派な建物になっています。
    門のみ遺構として残っています。

    守衛さんの許可をもらい、中から撮影しました。

    連隊が使用していた列車が津田沼ヨーカ堂前の公園に保存されています。

    では、千葉側はどうでしょう、線路は全て道路となりました。
    京成大久保駅付近に一部が遊歩道して残っています。
    赤ラインが演習線、青ラインは現在の道路です。

    花見川団地から穴川付近までは綺麗に道路と変わったのが分かります。

    穴川からはモノレールの通る国道126号のやや西側を抜け、千葉駅まで繋がっていたようです。

    現在の千葉駅北口から千葉公園付近までが演習線の跡と思われます。
    轟町から千葉公園辺りに第一連隊がありました。千葉公園内に遺構が残っています。演習用のトンネルなどもあるようです。

    昭和の終わり頃までは千葉競輪場付近に線路がまだ残っていた記憶があります。現在は住宅街の中に廃線跡らしきところがあります。
    また、轟町にある千葉経済大学北側に連隊技術廠の建物が残っています。

    モノレール天台駅近くの公園には陸軍歩兵学校跡の記念碑があります。

    陸軍の遺構と言うと佐倉城址公園の姥が池近くにあり、隣には無料の菖蒲園もあります。
    佐倉城は明治になり、陸軍が進駐し、城は徹底的に破壊され、土塁と空堀しか残っていません。

    上ってみました。かなり怖いです。

    こんなことをするために作ったそうです。
     


  • 富士山

    昨日、大磯城山公園の展望台から雲ひとつ無い富士山が拝めることが出来ました。
    距離は約50kmあります。

    スマホのズーム画像はやはり駄目ですね。
    ビデオカメラで撮影した画像です。
    こんなに晴れ渡って、風も無い中での富士山は人生初めてです。

    山頂は強風が吹いている様です。


  • 三陸の旅無事終了

    24日から4日間、三陸方面を巡って参りました。
    初日の青森は路面は雪でしたが、滑り止めを付け「駅ハイ」に参加しました。
    駅ハイ参加後、八戸に移動、八戸駅から市役所などがある本八戸駅へ移動し、ミニ散策をし八戸泊
    現・八戸駅は東北本線開通時には「尻内」、1971年に「八戸」となり、当時八戸線にあった「八戸」が「本八戸」となりました。
    東北本線を通すときに八戸の市街地の方を通す予定だったそうですが、反対運動で避けてしまったのです。
    八戸を訪れたら本八戸が市街地ですので、勘違いをしないでね。
    25日は八戸からJR八戸線で種差海岸駅で下車し海岸を散歩、再び八戸線で陸中夏井駅まで進み「駅ハイ」参加。
    久慈駅まで歩き、久慈から三陸鉄道で宮古駅、宮古からは山田線が不通なので、路線バス二つを「道の駅やまだ」で乗継ぎ釜石泊。
    26日は釜石駅からJR釜石線で遠野駅、「駅ハイ」に参加し、釜石までUターン、三陸鉄道で盛駅、盛駅からはBRTを利用して気仙沼泊
    BRTとはbus rapid transitの略称です。
    JRが震災で破壊された鉄路の復活を断念し、線路を取外しバス専用線に切り替えた路線です。
    全線が切り替わってはいません、多くは一般道を利用しています。
    27日は気仙沼からBRTを利用して石巻線前谷地駅まで進み、今度は鉄路で女川を訪れました。
    途中、南三陸町を通りましたが、復興は限りなく遠いかなと感じました。
    5年も過ぎたと言うのに盛り土工事が続いていました、元住民は帰還するのでしょうか?
    復興のための工事?、土建屋さんのための工事?
    海岸線には至るところで万里の長城の様な防潮堤が続きます。
    何か違う様な気がするのは私だけでしょうか?
    女川町、大震災の1年前に乗りつぶしで訪れ、津波で街全体が流された町です。
    駅舎も立派に復活し、当時食べた食堂が新しくなって営業をしていました。
    駅前から海まで以前は古い家の街並でしたが、駅前から海が見え、真ん中には広い敷石の通りが出来、両側には観光施設が建ち並んで、そこそこの観光客が訪れていました。
    そんなことで、食堂も行列が出来ていたので、断念しました。
    女川から仙台に出て、新幹線で東京へ戻りました。
    旅行中、傘をさすことも無く、地震もなく、平穏に旅をすることが出来ました。
    撮影したビデオは何時間になるかは不明です。150G以上は撮影したと思います。
    編集は年内には終わらないかと・・・