この街が・・

昨年1月と2003年夏、三陸地方を鉄道で訪れました。
その昔は、何度か宮古でベ二ヤ合板を積載し、夜の三陸海岸国道45号線をトラックでひた走ったこともあります。
今回の津波被害に呆然とし、訪れた街の姿をテレビで見るに付け胸の痛みを憶えます。
きっと被害に遭われ、亡くなられた方は想像を絶する数字になるのかも知れません。
お悔やみ申し上げます。
また被災に遭われ、避難された方々にはお見舞い申し上げます。
一時も早い復興を祈るばかりです。

この街が・・無くなってしまったとは信じたくないです。


この街が・・への2件のコメント

  1. アバター ウェストブック
    ウェストブック コメント投稿者

    愚呑さん、こんにちは。

    大変な事になりましたねぇ
    テレビの報道を見ていて、なんとも言いよがないです。
    永く住んだ家が流れていく姿を見るのはたまりませんでしょう。
    水も食料も少なく、救出を待っている方が多くいらっしゃるようで
    一分でも早く助け出して欲しいです。本当に「がんばれ日本」がんばって欲しいです。

    ビデオを見せていただいて、のどかな町だったんですよねぇ

    • アバター 愚呑
      愚呑 コメント投稿者

      ほんとに、ほんとに、朝から流れているテレビの画面は信じたくないですね。
      宿泊した宮古の街、下車して食事をした女川、街が無くなってしまいました。

      ここ千葉では、物が無くなると言う心理から買い溜めに走って、店頭から食品が消えつつあります。
      また、埋立地では液状化現象の大きな被害があるようです。
      どこまで被害が広がっているのか、予測も付かないですね。
      今は福島原発が一時も早く沈静化して欲しいです。