三陸の鉄道

2010年1月に大人の休日倶楽部パスで巡った東北、最終日は三陸でしたが、
まさか、約1年後にあれほどの大きな震災が起きるなんて想像も出来ませんでした。
太陽にキラキラと輝く青い海、暖かい車内でのどかなのどかな乗車でした。
釜石では同じパスで巡る老夫婦と写真を撮り合いました。
「また、訪れたい」と話していました。
まさか、震災の日に訪れてはいなかったでしょうね。
女川では1時間の待ち時間があり、港に行き遅い昼食をしました。
美味しいマグロ丼とラーメンのセット、もう食べることが出来ません。
駅に戻る途中にタバコを買うために寄った雑貨屋のおばさんはどうしたのでしょう。
「この辺は雪が少ないですよ」と言っていました。

テレビからリアルタイムで流れる津波の映像をみては、
津波がそこまで来ているのに車で右往左往してる姿を見ては、
「何やってんだ、車なんか捨てて、早く走って逃げろ、バカ野郎」
「早く早く、高いところへ行け」
と叫んでいました。
津波に飲み込まれる家屋、ビル、車を見ては、
「あっ、あ~、あ~、おいおい、あ~~」

あれから1年が経とうとしています。
福島浜通りは原発事故で未だ手付かずの街も村もあるようです。

多くの方が亡くなられました。未だ行方不明になっている方々もたくさんおられます。
ご冥福をお祈りしますと共に一日も早い発見を祈るばかりです。

当時の映像をGoogleEarthの震災後画像を組合わせて再編集してみました。
よろしかったらご覧下さい。
被災地の一日も早い、復旧復興を願わずにはいられません。
是非、全国の市町村で被災地の瓦礫を受け入れてもらいたいと願うばかりです。
名ばかりの「絆」でなく、実のある「絆」であって欲しいです。


三陸の鉄道への2件のコメント

  1. アバター ウェストブック
    ウェストブック コメント投稿者

    愚呑さん、おはようございます。
    一時の寒さは和らいでいますが、ピリット寒い朝です。
    一昨日の夜も深夜に大きな地震がありましたねぇ
    たまたま目が覚めて、ラジオを聞くと「緊急地震情報」がながれました。
    地震が多いですねぇ~

    東日本大震災から早や一年ですね。
    こちらでも船酔いのような揺れを感じましたが、まさか震源が遠い東北地方とは思いませんでした。
    出張では数回訪れていますが、私にとって東北は北海道より遠い感じなのです。
    目を疑うようなテレビの映像にショックをうけました。
    ビデオを見せていただいて一瞬に海岸沿等の姿が変わってしまったのですねぇ
    なんとも言いよがないのですが・・・とにかく一日も早い復興を願うばかりです。

    ネットラジオ再度挑戦してみます。

    • アバター 愚呑
      愚呑 コメント投稿者

      おはようございます。
      大震災1年とあり、一度アップした動画を一に作り直して再アップしました。
      震災後、訪れた地があのような惨状に数ヶ月は心も重く沈んでいましたね。
      現地も人達が一歩一歩ですが、前に歩き出したことが嬉しいです。
      それでも、一部の心ない人により、未だ東北や福島が白い目で見られているのに心が痛みます。
      特に原発周辺の人々は確かに原発のおかげで美味しい思いをしていたのでしょうが、元々は過疎地で、それを何とかしようと誘致したのを悪くは言えません。
      それで都会も電気に困らずに生活していたのですから。
      2万人近い人が亡くなり、避難生活を余儀なくされ、日々ガレキの山に囲まれ、なんと大変なことだろうと・・

      ネットラジオですが、MobileFree.jpのチャレンジを期待しています。