千葉市若葉区にある富田さとにわ耕園(千葉市富田都市農業交流センター)のシバザクラが綺麗だと言うので訪れました。
自宅から車で約1時間ほどのところです。
30数年前はこちら方面に住んでいたのですが、その後、全く訪れこともなく過ぎていたら道も変わり、車のナビは古いので道なき道を進んだりしながらの訪問でした。
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荒川ロックゲート
先日、旧中川のお花見で気になっていたので、行って来ました。
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東国三社参り
千葉県の香取神宮、茨城県の鹿島神宮と息栖神社の三社を東国三社と申します。
この三社巡りは、ここ数年、前勤務先で年末の忘年会を兼ね神栖のビジネスホテル一泊で行っています。
今年は引退したので自費で参加しようと考えていましたが、後輩が招待すると言うのでニコニコで参加をしました。今日30日はホテルから近くの息栖神社と鹿島神宮です。
息栖神社の社務所は8時半からオープン、御朱印をもらっていました。
初回の御朱印帳が満杯になったとかで御朱印と御朱印帳を買い求めていました。
一冊1,200円とのこと、御朱印が一回300円から500円らしいです。
わたしは一回のウォーキングで神社仏閣を多いときには10カ所近く巡るときもあるので、御朱印貧乏になりそうなのでやってはいません。
鹿島神宮で御朱印を書いてもらって帰るときには、女性ばかりのツアーさんが20人ほど記帳に走って行きました。
ブームなんですね、神社仏閣丸儲けです。
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箱根と三島
土日と箱根で息子の健保保養所にて一泊の旅をして来ました。
その大昔、箱根峠(新道)越えは大型トラックで往復ともよく深夜に通りました。
10トンも積むとギヤは2か3(6速)でトロトロと上り、下りはエンジンブレーキと排気ブレーキを利かせ、ペーパーロックを恐れ、極力フットブレーキは使いません。これまたノロノロでした。
それでも、雨の日に峠を下りきるときにはタイヤホイルからは湯気が立ちます。
数年前に碓氷峠で起きた観光バスの大事故、山を知っている運ちゃんなら、あり得ない運転操作です。
あの事故現場も何度も走りましたが、下る速度は3か4(6速)のギヤで30~40km/h前後です。箱根観光はその昔、子供が幼き頃に行っただけで、大涌谷は初めての訪問でした。
箱根は何処も混んでいます。そこで箱根から三島寄りに新しく出来た三島スカイウォークに足を運びました。
二日目に寄る予定を天気が良いときに訪れようと前倒ししました。
三島スカイウォークから芦ノ湖に戻り、昼食をと考えていましたが、無料駐車場はどこも満車、芦ノ湖沿い走り、箱根園の有料駐車場に駐め昼食。
保養所はここから30分ほどの彫刻の森近く、時間潰しにロープウェイに乗車。
早めに宿へ入り、のんびり温泉でした。
翌日の予定は沼津港で寿司だけ、時間があるので途中の三島大社に参拝しました。
新鮮で美味しい寿司を食べ、東名沼津ICから早々に戻りました。
今回は後部座席でお客さんとして座っていたので、移動中の撮影はしませんでした。
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ふなばしアンデルセン公園
昨日、電車バスを利用して「ふなばしアンデルセン公園」に遊びに行きました。
3月にウォーキング途中に寄り、なかなか良いところだなと思っていたので、毎日ゴロゴロしている相方を連れ出して行きました。
通常入園料900円が65才以上無料は嬉しいですね。
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皇居東御苑
昨日は四ツ谷駅スタートの駅からハイキングに参加をしました。
千鳥ヶ淵交差点からエスケープをして、東御苑を訪れました。
昨年秋に富士見多門櫓内部が一般公開されたと言うので公開後に東御苑を訪れたのですが、金曜日で休園日でした。
リベンジしました。
その前に、旧赤坂プリンスホテルの跡地に新ビルが昨年完成し、ニョキと立っていたので訪れてみました。
「東京ガーデンテラス紀尾井町」と言うレストランやオフィス、ホテルなどがある複合ビルだそうです。
一泊いくらかなとネットで調べたところ、一泊のお値段で18きっぷ5日間の旅が出来そうなお値段でした。
http://www.princehotels.co.jp/kioicho/入口では花びらの画を作っていましたが、風で飛ばされ可哀想でした。
コース内の国立劇場前の広場では「小松乙女」とか言うエドヒガン桜が咲いていました。
東御苑に入り、久し振りに天守台に上がってみました。天守閣は明暦の大火で焼けてしまい、再建されなかったです。
近年、再建運動などが出始めていますが、皇居を見下ろすことになるので、無理でしょう。
内部です。係りの方が一回訪れれば良いでしょう。と笑って話してくれました。
最後に皇居前広場の蛤濠から眺められる富士見櫓です。ここは非公開です。
皇居周辺のソメイヨシノはまだまだ堅い蕾でした。満開は下旬頃からかな?
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陸軍鉄道連隊
母校の高校がかつてこの地にあった事もあり、この鉄道連隊に興味があり、色々と調べてみました。
陸軍鉄道連隊とは明治から敗戦まで存在した陸軍の隊です。
任務は国内や占領地での鉄道の敷設だったそうです。
この津田沼に第二連隊、千葉の地に第一連隊があり、演習線で結ばれていたそうです。
第二連隊の演習線は松戸-津田沼間にあり、戦後に京成電鉄に払い下げられ、新京成電鉄として路線を引き継ぎました。
こちらの遺構は新京成電鉄二和向台駅近くにあります。列車等の資材は西武鉄道に払い下げられました。
松戸-津田沼(昭和5年の地図なので、まだ松戸まで開通していません)
新旧比較の地図は「今昔マップ on the Web」を利用しました。この連隊の跡地には私立千葉工大と県立千葉工高が建設と言うか、隊舎をそのまま引継ぎ開校しました。
千葉工高は千葉市の検見川の地にあったのですが、工業系と言うことで米軍の空襲で焼け、移転したのです。
その後、千葉工高は千葉市へ移転し、跡地は点々と変わりましたが、現在はイオンモールになりました。千葉工大に遺構が残っています。校舎も隊舎などを利用していたのですが、現在は立派な建物になっています。
門のみ遺構として残っています。守衛さんの許可をもらい、中から撮影しました。
連隊が使用していた列車が津田沼ヨーカ堂前の公園に保存されています。
では、千葉側はどうでしょう、線路は全て道路となりました。
京成大久保駅付近に一部が遊歩道して残っています。
赤ラインが演習線、青ラインは現在の道路です。
花見川団地から穴川付近までは綺麗に道路と変わったのが分かります。
穴川からはモノレールの通る国道126号のやや西側を抜け、千葉駅まで繋がっていたようです。
現在の千葉駅北口から千葉公園付近までが演習線の跡と思われます。
轟町から千葉公園辺りに第一連隊がありました。千葉公園内に遺構が残っています。演習用のトンネルなどもあるようです。昭和の終わり頃までは千葉競輪場付近に線路がまだ残っていた記憶があります。現在は住宅街の中に廃線跡らしきところがあります。
また、轟町にある千葉経済大学北側に連隊技術廠の建物が残っています。モノレール天台駅近くの公園には陸軍歩兵学校跡の記念碑があります。
陸軍の遺構と言うと佐倉城址公園の姥が池近くにあり、隣には無料の菖蒲園もあります。
佐倉城は明治になり、陸軍が進駐し、城は徹底的に破壊され、土塁と空堀しか残っていません。上ってみました。かなり怖いです。