親鸞聖人を歩く

40歳の頃でしょうか、何気なく本屋で手に取った丹羽文雄氏の「親鸞」を読み、すっかり親鸞聖人にはまってしまいました。
比叡山の僧兵が隠れて酒肉に溺れていた頃、堂々と「肉食妻帯」を宣言された坊さんです。
法然上人の弟子となり、「南無阿弥陀仏」を称えるだけで浄土へ行けると言う教えを説いていました。
比叡山からは迫害を受け、朝廷から法然上人や他の弟子共々流罪にされてしまいました。
親鸞聖人は妻の惠信尼と共に越後へ配流。
今回はその地を訪れて、親鸞聖人の足跡に触れてみたいと訪れました。

越後では7年間暮らし、赦免されたことで、関東の豪族からの要請もあり、関東へと旅立ちます。

歳を重ね、京都が恋しくなったのか、晩年京都へ戻りました。
法然上人の教えを正しく伝えているのは自分であると言う信念が「浄土真宗」になりました。
京都へ戻ってからは、家族とひっそりと暮らし、浄土真宗も歴史に埋もれる状況となりました。

親鸞没後、約150年後に直系の蓮如上人が登場しなければ歴史に消えていたのかも知れません。
この蓮如上人が子供26人をつくり、これが現在の浄土真宗の基礎となって行ったのです。


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