先週に引き続き、外房線ウォークをして参りました。
10時頃まで雨が降っていたので、どうしようか迷っていたのですが、止みそうなので思い切って出掛けました。
先週歩いた土気(とけ)、誉田(ほんだ)、鎌取(かまとり)コースの残り、鎌取です。
コースマップ
実家はこの駅の北側方面にあります。
この鎌取周辺は高校生の時に新聞配達をした区域です。
ネットで昔の駅舎画像を探していたらありました。
旧駅舎
この駅舎では寒い朝に駅員さんからお茶をご馳走になりました。
今回歩いたのは駅の南側、ニュータウンとなったところです。
街が完成して、初めて訪れました。
街の外周などを巡る大きな遊歩道があるんですね。
この地図は1968年です。鎌取駅から南に有吉町と言う集落があり、ここへ20部新聞を届けていました。
届けられた新聞は集落の方が配達していました。
当時は人家も少なく、広範囲で全体では200部ほどスーパーカブで2時間の配達でした。
日本全国、ニュータウン計画があった頃ですね。
大震災以降、液状化などで自分の土地は以前はどんなところだったのだろうと考える方が増えているようです。
そんなときに「今昔マップ」がお役に立てると思います。
上記画像も「今昔マップ」からキャプチャーしました。
愚呑さん、おはようございます。
寒い日、駅員さんからのお茶のご馳走は体が温まりさぞ嬉しかったでしょうねぇ
鉄チャンの予感?その頃から鉄道とのつながりがあったのでしょう。
旧駅舎からその頃の様子が浮かんできます。
ものすごく変わりましたねぇ
1968年。わたしが21歳のころですね。まだ生まれたところに住んでいましたが
たまに歩いてみると、確かこの辺やったなぁ~と、わからないくらい変わってますが
たまに昔からの表札をみると、懐かしいですね。
懐かしの駅舎写真が残っていて、嬉しかったです。
有吉の集落に新聞を置いて、駅に配達に寄りました。
この後、下総療養所(傷痍軍人病院)で配達終了でした。
早朝の大網街道を陸自の装甲車が九十九里へ演習へ行くのかゴーゴー走っていましたよ。
千葉でも1960年代に開発された団地は少子高齢化で学校の統廃合などが進んでいます。
「おゆみ野」はまだ比較的新しい方なので大丈夫とは思いますが、春の桜見ウォークで歩いた松戸の常磐平団地などでは都会の限界集落になりつつあります。
多摩ニュータウンも急激に進んでいるようです。
千里は大丈夫ですか?
なんという偶然でしょうか?
1968年、私の誕生年です。
有吉町、明徳高校の校舎の建て替えが行われ、配置が換わったのが確認できます。
京成千原線が開通し、学園前という駅ができてるし、時代が感じられますね。
その有吉町の近くの団地(旧公団)に仕事上何度か足を運びました。
1967年4月に母校が津田沼から生実に移転しました。
当時は花輪町に住んでいたのですが、5月に父が亡くなったのを機に新聞配達を始めました。
1年の時はクラブにも入ったのですが、千葉駅からの最終バスに間に合わないのでやめました。
翌年、平山町へ引っ越ししたので新聞屋も変え、スーパーカブでの配達になりました。
そのスーパーカブで鎌取十字路から外房線に沿って、生実池を通り、通学していました。
母校の前は田園風景でしたよ。
そんな関係で、この辺りには思い出深いものがあります。
当時、この辺りが今のようなニュータウンになるなんて想像も出来ませんでした。
まだ、鎌取駅に汽車が走っていた時代でした。